cucina italiana ACCI

イタリア修行日記

『ACCIで旅するイタリア』
自家製尽くしのイタリア郷土料理

 

cucina italiana ACCIが誕生するまで

シェフ筆で綴る修行日記です。

まずは日本からイタリアへ...

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ACCIエピソード①

『よせばいいのに』

 

昭和の歌謡曲

サビは知っているのに曲のタイトルも歌手も知らなくて最近ふと調べて分かったタイトル。

今から二十数年前、イタリアで修行する前に日本で修行をしていた今はないとあるレストランでの話し。

高卒で料理の専門学校に行かせてもらい、その1年後に卒業と同時に社会にでた。1年目で出鼻をくじかれてすぐに実家に帰る。

アルバイトで生活を繋ぎ、ある日隣り町に美味しいレストランがあるとウワサを聞いたのでなけなしの金を握りしめて食べに行く。

人生で感動するレストランは今まで何軒か経験はあるがここが初めてだったのかも知れない。帰って何日か経ってもまだ興奮が冷めない感じ。

その後勇気を出して求人も出ていない店に電話をするとホールスタッフが

「何日前に食事に来てくれた方ですね...」と。

お、お、覚えてる…(感激)。シェフに繋いでもらって事情を話すと「人は足りてるから求人はして無いけど話しは聞くよ」と。

今思うと時間を作ってもらって何を期待して会いに行ったのだろう?多分感動したお店のシェフに会って話したかったんだと思う、その後の料理人生の何だかの手がかりをつかむ為に。

小さな店で16席位でイタリアコース料理。布のテーブルクロスとテーブルナプキン、バーカウンターがあって上にはグラスが並んでいる。スタッフは、シェフ、2番目のシェフ、ホールの3人体制。

空欄の多い履歴書を持ってシェフとの話がはじまりしばらくして「タダなら働いていいよ」と、多分即答だったと思うが「明日からよろしくお願いします」と。実際はアルバイトを辞めるのに1週間位かかったからその後くらいからこの店でタダ働きを好んでする事になる。

その後、お金も無くなってきて(多分3ヶ月位)午前中〜夕方まで違うイタリアチェーン店でアルバイトをしてその後は店に戻り好んでタダ働き。そんなのがまた半年くらい続き、その後再度シェフに「この店の一員にして欲しい」とお願いすると快くok。給料を貰える事になった。

普通の20歳の平均よりずっと下だと思うし、友人などにこの話をすると騙されてるとか言われたけど、半年以上経っこの店の発給は凄く嬉しかった。

 

働いてる時に失敗やヘマをすると2番目のシェフが

「いつまでたっても、ダメなあな〜た〜ね〜♪」と替え歌なのか何の歌なのか分からない歌をずっと歌っていて、シェフは近くで笑っていて、いつの間にかこの歌は俺のテーマソングになっていた。

今も自問自答しながら仕事をしていて、たまにシェフだったらどうやるか?とか2番目のシェフだったらどーするかな?いろいろ考えると一緒にこの歌が聴こえてくる。ちょとノドの奥がいたい。

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ACCIエピソード②

 

『イタリアで職探し 

   Firenze - ristorante Alfredo 』

 

イタリアでの職の見つけ方

①日本でイタリア修行の経験がある人にレストランを紹介してもう。

②日本でイタリア研修制度のある語学学校に通う。

③当ても無く自分でさがす。

 

大きく分けてこの3パターン。僕は③に該当する。

はじめは語学留学でイタリアに入る。イタリア人の先生が英語でイタリア語を教える授業。

日本のイタリア料理店で働いている時はオーダーの伝え方、食材の名前、数字はイタリア語で覚えていたので割と大丈夫な予感はしていたのだが、いつの間にか授業についていけなくなり、ついには僕の順番を飛ばされて授業が進む。

落ちこぼれは学校をサボりだし途方に暮れる。

何をしにイタリアへ?と考え直し、

「vorrei lavorare qui」(ここで働きたいです)の1フレーズを覚えて近所のレストランや気になるレストランのドアを叩いて訪ねる。まるで千とチヒロ…

もちろん返ってくる答えが何を言っているのか分からない。ジェスチャーやYesかNoかで何となくNoという返事が理解できる。

20件ぐらい回って、もうダメだなと諦めかけた時にあるレストランはokの様なニュアンスの答えが返ってきた。何を言っているか分からないので帰って辞書で調べるつもりでノートに書いてと頼むと字が汚過ぎて何も理解できず、なんとか理解しようと話を続ける。分かったことは観光ビザじゃダメってこと。学生ビザならokいう事だった。

現地で安い学校を見つけ一度日本へ帰りビザを取り直して〝ristorante Alfredo〟に入る事ができた。

お店を探している時1つだけ条件があった。

 日本人のコックさんがいない事

もちろん日本人のネットワークは大切で色々情報交換や休みの日には一緒に食べ歩いたりしたが、働いている時に日本語を話すときっとイタリア語が勉強できないと思ったから。

まだ電子辞書が無い頃で重い辞書を持ち歩いて、辞書をいつも厨房に置かせてもらっていた。

色々な事が新鮮で毎日がワクワクな日々でイタリア修行がスタートした。

 

 

このレストランでのハプニング。

床屋代がもったいなくてピザ職人のジョセッペが前職が床屋さんだったのでバリカンでボウズにしてもらうのだが、トイレの手を洗うスペース(結構広い)で切ってもらい髪の毛が散乱してカメリエーレに2人で怒られる。

シェフのマリオはそれを見て豪快に笑っている。

(写真はACCIオープン翌年の2014年、オーナーシェフ・マリオと再会した時のもの)

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ACCIエピソード③

 

『2軒目の修行先

 Firenze ー「Quattro Gigli」(クアットロジッリ=4つのユリ)』

 

1軒目はトスカーナ州フィレンツェの街中のレストラン。この地での生活も慣れてからは観光地ではなく人里離れたレストランに興味を持ち、そんな時丁度タイミングよく知人からとあるレストランがシェフを探しているとの情報があり面接をしに行った。

今回は同じトスカーナ州でもフィレンツェとピサのちょうど間に位置してギリギリピサ県に入る場所。電車も各駅しか停まらない「S.Romano-S.Croce」(サンロマーノ、サンタクローチェ)と言う見過ごしてしまいそうな駅で、観光地でない為ほぼ地元民しか使わない所だった。

その駅から徒歩1時間くらい坂道を登った場所に(バスも通っているが1日に5〜6本の為歩く)Montopoli モントーポリと言う小さな町の中にあるホテル兼レストラン、「Quattro Gigli」(クアットロジッリ=4つのユリ)があった。

初めて出会った女性シェフのフルヴィア

お母さんであるおばぁちゃんシェフ、イタリア人、セネガル人、日本人(自分)の5人体制。

前回のレストランはキッチンに僕を入れて3人だけだったので、イタリア人の2人が半分ずつ仕事をしてそのヘルプをぐるぐる回っていたのだが今回は初めて自分のポジションがあり前菜を任せてもらえた。

もちろん自分のカラーを出すのでは無く、仕事を教えてもらいそれをこなしていく事になる。

そして今回は洗い場も別でいる。

日本だとキッチンの見習いは必ずと言っていいほど洗い場から始まる。よく言えばキッチンを見渡す時間を作り、道具や食材がどこに何があるか今誰のヘルプをすればうまくお店が回るのかなどを考える事が出来る。悪く言えばなかなか勉強出来ずに気持ちが萎えていく…

その点イタリアは洗い場のポジションが別でいるで仕事に集中出来る。

また面白いのは時間割。全員同じ出勤時間ではなく、パンを焼く人は1〜2時間早く来てその後チラホラ何人か現れて最後デザートのポジションの人が1〜2時間遅く出勤。その代わりパン焼く人は早く帰り、デザートの人は最後まで居残り。

食事(賄い)はみんな一緒に昼も夜もたべる。昼は11時頃、夜は18時頃。食事の時間に洗い場が出勤して1番最後まで居残り。

 

このレストランで面白かった仕事は、全員でPici(ピーチ)と言う見た目は細いうどんの様なパスタを伸ばす事と付け合わせのイモのフライ。

パスタは卵無しのトスカーナ州の郷土料理で1本1本手で伸ばしていく。僕はほぼ全ての仕事が楽しかったがPiciの仕込みがある時は皆んなの気分は暗く黙々とやる。

イモのフライは皮を剥いたイモをそのまま油の中に入れ低温でゆっくりゆっくりキツネ色になるまで揚げていく。シンプルだけどこれがまた美味しい。

ボスのシェフは色々と波のある仕事ぶりだったがそれまで出会ったことが無い感覚と色の使い方は見ていて面白かった。

寝泊まりする場所はホテルの1室を貸してもらい、休みの日は必ずフィレンツェに戻って友人のアパートに転がり込む。仕事は本当に楽しいのだがやはりoffの日は寂しい。

スタートがフィレンツェで良かったと思ったこの少し田舎にあるイタリア2軒目の修行先〝Quattro Gigli〟での話し。

 

まだ先は長いエピソードだがその後に出会うシエナの店で、イタリア修行時代の大きな分岐点となる時間を過ごす事になる。

(写真 : おばぁちゃんシェフが陶芸家でもあったので帰り際にそこで作ったお皿をいただいた)

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 ACCIエピソード④

 

イタリア3軒目の修行先/トスカーナ州 シエナ

『La Taverna di San Giuseppe』

タベルナ・ディ・サンジュセッペ

 

 

この店での日々は僕の修行時代の中でも大きな経験や転機となり、気がつけば2年半もの月日を過ごす事になった。

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シエナはトスカーナ州でフィレンツェの次に大きな世界遺産の街。中心部は17地区に分かれていてそれぞれの動物をモチーフにしたシンボルやカラーを持っている。音楽院や大学、外国人の為の語学学校があり学生の街でもある。

その当時の僕はイタリア料理=トスカーナ料理くらいなイメージを持っていたので次はシエナに住みながら働きたいと思っていた。

前回の「Ristorante 4gigli」(トスカーナ州ピサの近く)の後はフィレンツェでお世話になった大家さんに連絡をして、フィレンツェに住みながらバスで1時間半程の場所にあるシエナでの仕事探しを開始した。

探し方は相変わらずで、興味のある店のドアをノックして回る作戦。1日に2〜3軒くらいしか回れなかったが、1週間程でたまたまコックさんを探しているレストランに出会う。

その頃はこちら側の要求も言えるようになり交渉が出来るくらいになっていた。

無事に契約が決まり引越しも終わると、毎日カンポ広場を通りながらのシエナ生活が始まった。

(※カンポ広場Piazza del Campo=扇形の少し傾斜のある大きな広場。市場やコンサート、パリオも開催される)

 

この当時のレストランではパンはパン屋から、生パスタの一部はパスタ屋さんから仕入れていて8:30頃には配達があるので、その前にお店を開ける係と他のスタッフがくるまでの間に僕が電話番をしていた。

店の入り口を開けるとすぐ、少し小上がりになった場所に丁度厨房正面のパスタ場が見える。

そう今回このレストランでのポジションとなった場所。だから入店した人は必ずと言っていいほど日本人の僕と目が合う、良くも悪くも。

料理はどれも美味しく肉を中心としたトスカーナ料理。ミートソースを思い浮かべると赤いトマトのミートソースを思い浮かべるが、ここはトマト無しのミートソース。これは今でもACCIでたまにやるメニュー

※牛肉の田舎パスタ

そんな思い出深いシエナの店の話しは書き切れないほど沢山あるのだが、嬉しかった出来事を3つだけ書こうと思う。

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1つ目

オーナーから名前入りのコックコートをもらった事。

イタリアではコックコートは持ち帰り家で洗ってアイロンする。

日本から持って行ったソレは分厚く洗いにくかったので「ACCI」の名前入りのは薄生地で使いやすかった。

 

2つ目

マンチャ(チップ)を平等に分けてもらえた事。

これまでのレストランは給料以外もらえてなかったので頭数に入った事が嬉しかった。週一の休み前にもらえるマンチャはビックリするほど高額でそのままレストランのワインを何本か買い、シェアしていた同居人たちや友人とよく飲んでいた。

 

3つ目はイタリア生活が長く出来たきっかけ。

約2年半の間この店に勤めた事で、労働ビザを出してもらえるようになった事。

しかしそんな話しをもらえた時に、実は新しい経験を求めていてこの店を辞めようと考えていた。ビザを出してくれるのはとても嬉しいのだけど居残りが条件だったら断っていたかもしれない。その時の気持ちを伝え何度か話し合った結果、ビザは出してもらうけど辞めるというとんでもない答えに辿り着く。

オーナーは凄く大変だったと思う。様々な書類を出し、色々な場所に提出してまわってくれたのだろう。

ここの店のおかげで次の地を探す事が出来るようになりイタリアに居れる時間が長くなった事に、今でもとても感謝している。

そんなこの店のオーナーは、ジョージ・クルーニー似で奥さんはキャメロン・ディアス似。息子のマッテオは同じ歳でソムリエ。今もレストランを切り盛りしているファミリーだ。

こうしてその後シエナを巣立って行くのだが、労働ビザが出る事を踏まえての次の店探しが始まった。

 

次の土地は、北イタリア・ロンバルディア州のパスティッチェリア(ケーキ屋さん)

イタリアで1番美味しい、パネットーネ屋さんでの話しに続く。

 

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ACCIエピソード⑤

 

イタリア4軒目の修行先/

 ロンバルディア州 ブレーシア

『Pasticceria VENETO - Iginio Massari』

 

イタリアの北部ミラノとヴェネツィアの真ん中辺りにある街〝ブレーシア〟はロンバルディア州に位置し、【ミッレミリア】というクラシックカーでイタリアを1000マイル走るレースがありそのスタート&ゴール地点でもある。

今回の店はドルチェも専門的に学びたいと思い選んだ初のケーキ屋さんだ。

イタリアにはレストランの格付けガイド本が何種類かあるのにケーキ屋のはなかなか無かったが、ケーキ職人を目指す人なら誰もが知っている店で、何故なら《パネットーネ》というクリスマス時期に食べる大きな焼き菓子がありそれがとても有名な店で、イタリアで1番美味しいパネットーネを作る店だ.....。って従業員は言ってた。

その噂を聞いた事があった僕は、シエナで労働許可証を手に入れ(実際は本物の許可証が届くのは2年後くらいで、その引換券代わりに渡されたワラバン紙の様なペラッペラの紙切れをずっと大事に持っていた)働ける場所も広がったので、勇気を出して電話をかける。

履歴書や労働許可証の本物が無くても大丈夫という書類を送ったりした結果受け入れて貰える事になった。

そのお店は裏に寮がありそこでの住み込みだ。

 

ケーキ屋さんの朝は早い。

4時半起きの5時出勤。イタリアの朝食は甘い物が多くブリオッシュやドーナツにクリームやジャムが入ったりしてそれをカプチーノで流し込む。近所のバール(カフェの場)の皆んなの朝食に間に合うように朝一で焼くからだ。

レストランと違いケーキ屋は少し工場ちっくで、みんながそれぞれの仕事を黙々とこなしていく。

現場で作業しているのは7人程で、生地を作る人/生地を伸ばす人/焼く人/クリームを作る人/チョコレートする人に分かれていて、僕はクリーム担当だった。

ここのケーキはお茶菓子タイプの小さなケーキが多く全て量り売り。小さく作業工程が多いので皆んながヘルプしながら作業をこなす。

 

今までの店と違う事

それまでの職場は名前で呼び合ったりトップシェフの事を〝シェフ〟と呼んでたが、ここのボスは〝マエストロ〟(巨匠)と皆が呼ぶ。

マエストロは少し年配だったので現場には居たが、取材や執筆作業を奥でこなしていた事が多かった。

中部から北部にやってきたその頃の楽しみは休みの日の食べ歩きだ。

ミラノにもヴェネツィアにも行けて、北部は星付きレストランも多く出費は大きかったが勉強の出来る時期だった。

1年くらい経った頃食べ歩いた中で見つけて、ここに行きたいと思った2軒のレストランが見つかったのでアプローチを始め両方とも受け入れokをもらったのだが、1軒は研修生として(無給)で、もう1軒は今までより減るけど、給料と住み込みで働ける条件だったのでそちらに決めた。

 

次回はヴェネト州の山の上にある星付きレストラン

これまでの投稿にも登場した事のある店

『Rirtorante  Dolada』リストランテ・ドラーダの話し。

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その頃の写真データが消えてしまいほぼ残っていないのでマエストロが執筆した本もいれて。

1 :当時の同僚たちと

2 :マエストロのイジニオ・マッサーリ氏

この本が作られた時期の写真がまさに当時出会った頃のマエストロ

3 :同僚と共に後ろに僕もうっすらと載っている

※マエストロ著「PASTICCERIA MIGNON」2008 より。隣はパネットーネ本

4 :イースター時期にはこんなチョコ菓子も!

5 :とても親切だったマルコ

6 :ミッレミリアは車に詳しくなくても興奮した

7 :パネットーネを作っていた二階堂の頃

時間がとてもかかり最近はなかなか作れていない

 

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 ACCIエピソード⑥

 

イタリア5軒目の修行先/

ヴェネト州 ピエーヴェ・ダルパゴ(現名称・アルパゴ)

『Ristorante Dolada』

 

僕が良いなと思うレストランはいつも辺鄙な場所にある。

前回過ごしたロンバルディア州ブレーシアのドルチェ専門店から移動した次の修行先『Ristorante Dolada』は同じく北イタリア、ヴェネト州の北部アルプス山脈の近くのドラーダ山の麓で標高約900mにあるホテル兼レストランだ。

バスも1日2本ぐらいしか通らない人気の無い場所で1番近い駅も無人駅でそこまで行くのに歩くと3時間はかかった。そんな場所だからこそ見える景色は抜群でたまに羊もいたりして気分はハイジ。

 

このレストランは半分くらい自給自足の事をしていて畑で野菜やハーブを積み、チーズを作る場所やハムやサラミを作り屋根裏に干す、近所の山にポルチーニや木の子を取りに行く事もあったり、ミツバチのハチミツなんかもあったなぁ、もちろんパスタ、パン、アイスなども自家製。ACCIで出している料理のベースはこのレストランで覚えた事が多いかも知れない。

キッチンスタッフは5人体制で忙しい時期は10人くらいだったと思う。ケータリングもやっていていつも結婚パーティーのケータリングだったが場所がお城だったり、森の中だったり、ワイナリーなどでも振る舞った。ゲストはテーブル席に着くまでの食前タイムでは歩き回って飲んだり、つまんだり、おしゃべりしたりしていた。

 

レストランで初めの僕のポジションは前菜、パン、デザート、お茶菓子を2人でやる仕事だったが、パンは近所の薪窯を借りて朝一で火をつけて、炭を掻いて予熱で焼くやり方だった。やはり慣れるまで温度調整が難しく、膨らまなかったり黒焦げになった事もある。窯の扉を調節して隙間風を入れるのがコツ。上手く焼けた時はやはり美味しいし、失敗しなくて良かったとホッとする。

 

このレストランも長く2年ぐらいお世話になり、その間イギリスロンドンで2号店を出す事になったのでキッチンスタッフは冬休みを利用して全員でロンドンで一軒家を借りて2カ月ぐらいオープン準備をした。

 

ロンドンから戻った後はポジションも代わり、プリモ(パスタ、スープ、リゾット)担当になる。レストランは予約制なのでその日にパスタを伸ばした。ここの定番の一つ、ACCIでも時々ご用意するカラフル模様のパスタ〝魚介のオープンラザーニャ〟も度々作った。

 

ここで住み込みで働いて残念だった事は休みの日にそんなに遠くに行けない事、食べ歩きも友人と会う事もなかなか難しい、そんな日々が続き髪の毛もロン毛になる。

そしてこのレストランで初めて日本人のコックさんと一時かぶって働く時期があった。彼は今もイタリアの違う店で働いている。アキオさん元気かなぁ…

 

この時、僕は29才でイタリアへ来て6年半。日本に帰るかイタリアに残るか悩める年頃だった。オーナーシェフになる事が目標だったのでイタリアでそれをやるには当時の僕にはハードルが高すぎて日本に戻る選択を決めた。

その前にもう少しだけ違うレストランで働きたいと思いシェフに相談する。スロベニアとも国境を接している隣の州、フリウリVG州・ウーディネのレストランなら勉強もできるし紹介も出来ると言われそのレストランに5カ月だけ働きに行く。

 

次回は最終回「Torattoria Da Nando」

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① レストランからの眺めは今のACCIのお皿にも。 @ceramica_spumo さんに作っていただいたマヨリカ焼き

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② アルパーゴ駅とレストランからの眺めや周辺

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③ 〝Ristorante Dolada〟

こんな辺鄙な所にイタリアじゅうからゲストがやってくる。店内はラグジュアリー

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④ ソーセージ作り、釜焼きパン、野菜畑

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⑤ ⑥ある日のケータリング会場

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⑦ レストラン内からは眼下に湖も見える

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⑧ ⑨仲間たち。お茶菓子作りは当時一緒に担当していたケッコ。現在はミラノでお店をしている @francesco_massenz 

上/右端が一時一緒に働いたアキオさんやレオ @leonardo___zanon 

下/ケータリングの仲間たちと

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⑩ 今もオーナーシェフのリカルドと9年前に再会した時。ここでの後半をお世話になった

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ACCIエピソード⑦

 

イタリア6軒目の修行先/

フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州 

『Torattoria da Nando』

 

イタリア最後の職場〝Torattoria da Nando 〟

 

このレストランがあるのは北部右側のフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州、オーストリアやスロベニアに隣接する国境の州の小さな町モルテリアーノという場所にある。

ここのレストランは前のシェフからの紹介で住み込みで働ける事になり、レストラン内にある小さな古屋を借りて生活がスタートした。

 

僕は外食をする時レストランを使い分ける。

家族の祝い事、夫婦の記念日、友人との軽い飲み、さっと済ませたい1人の食事…

このレストランはその思いを1つにまとめたすごいレストラン。近所の人もふらっと立ち寄れて、お祝い事も出来、コース料理や単品料理も充実していて、レストランの敷地内に結婚式も出来てしまうスペースもありパーティーも出来て、場合によってはそのパーティーを別会場でやるケータリングもしてしまう、そんな聞いてるだけで目が回りそうなレストラン。

 

仕事は主に誰かのヘルプ。野菜の下処理やポルチーニ(キノコ)の掃除、肉魚の下処理、パン作りのヘルプ…やる事はたくさんだったのでここでの経験もまた肥やしとなりケータリングにも良く行った。

ここで働いている時期はもう帰国をしようと決めていた時期だった。時間が足りないと思いつつ帰る時期(半年後くらい)は迫っていてまだまだ経験を積みたい時期でもあったので、休みの日も肉工場にチャリで通いチェーンの手袋とチェーンの前掛けをして働く。本当はサラミ工場みたいな場所を探していたのだが近所には無く、肉工場になった。

そんな感じでここでの時間もあっという間に過ぎて行き、ここを出た後は今までお世話になった店を旅がてら挨拶回りをしてワインの勉強をして日本に帰ってきた。

 

残念な事にこの時期の写真は全部消えてしまい残っていない…

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23〜30歳ぐらいまでのイタリア生活

最初は言葉も喋れず引きこもりになりかけた。

ドキドキしながら沢山のレストランのドアを叩き《vorrei lavorare qui》(ここで働かせてください)だけ覚えて仕事を探しにいく。

給料交渉も下手で最初はビンボーだったけど途中から貯金もできた。

悔しい思いをすれば勉強した。

学生ビザからは就労ビザに代わった。

辛い事もあったけど苦しい事はなく今ではすべてが良い思い出だ。

自分でお店を持つ前は何度もくじけそうになった。

全ての思い出を繋げる事が出来て良かった

 

Sono felice che potevo continuare come chef.

 

これでイタリア修行日記終わりです

 

 

①.22年前、渡伊する際は気合いを入れて髪を染めた

沢山の方にお世話になった

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②.アルバムから出てきた記憶にない1枚

言葉が解らないと辞書を開きメモをとった

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